愛知東邦大学

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留学

留学したからこそ見えてきた未来

キャンパスライフ2023.02.21

人間健康学部人間健康学科 2017年度入学

名嘉真 康太

学生寮での生活や留学中の出来事…人との関わりを通して、「生きていく力」が身についたと話してくれた名嘉真さん。
留学中の言葉も通じない環境で、たくさんの壁を乗り越えてきた名嘉真さんだからこそ描ける未来があると感じました。
迷っていることがあるのなら、まずはチャレンジ!!

沖縄県から愛知県に進学

―どのような経緯で沖縄から愛知東邦大学に来ようと思ったのですか?
高校時代は親元から離れ、寮に入っていました。もともと大学は県外へ出ることを考えていて、資料を取り寄せている中で愛知東邦大学を知りました。学生寮があるということで興味を持ちました。高校時代はスポーツトレーナーになりたいという希望があり、寮費もお手頃で高校の先生にも勧められ、愛知東邦大学に決めました。

―沖縄から名古屋に来てみてどうでしたか?
まず、高校3年生の時のオープンキャンパスで初めて沖縄から名古屋に一人で来ました。その時に、名古屋駅で2時間迷子になったんです。沖縄にはモノレールがありますけど、地下鉄はなく、名古屋駅は電車の乗り場がたくさんありすぎて、どこに行けばいいのかわからなくて…。名古屋駅の警備の人に聞いて、ようやく地下鉄にたどりついたという苦い思い出があります。

―見知らぬ土地で入学前からそんな経験をしたんですね。実際にオープンキャンパスで大学を見てみてどうでしたか?
広さはないけど、大学の設備はきれいだなと思いました。スポーツトレーナーになるための専門学校も迷っていましたが、愛知東邦大学に推薦入試で入学することになりました。
(写真:大学のキャンパス)

仲間と支え合う学生寮の運営

―入学当初はどのように過ごしていたのですか?
TOHO Learning House(以下、TLH)に入寮して2日目に、TLHの運営をこれから頑張っていこうと感じました。TLHは学生が共同生活を行いながら、2階に設置されたゲストハウス(宿泊施設)を自主運営する新しい形の寮です。僕が入寮した年は、TLHの立ち上げ2年目でした。まだ人数も少なく、運営がまわらなかったんです。

―1年生の時からTLHの運営にしっかり関わっていたんですね。
商業高校出身だったので、僕は経理を担当しました。売上管理の担当ですね。1年目は寮での活動に専念していて、同級生の中では1番働いていたと自覚しています。

―TLHではゲストハウス運営の他に各種イベントも行っているんですよね。
そうですね。1年生の時は名古屋大学の留学生を受け入れて寮生との交流を深めました。地域のお祭りに参加したり、認知症カフェも行っていて、会場設営や当日の運営など寮生みんなで積極的に参加しています。

―運営していく上で大変なことはありますか?
大変なことは常日頃ですね。1年生の時は売上管理、2年生からは売上管理に加えて後輩の育成にも力を入れていました。留学していた時には、留学先から半年ほどリモートで売上管理をしていたこともありました。
(写真:学生寮TLH)

詳しくはこちら
TOHO Learning House

将来の可能性を広げた留学生活

―留学について聞かせてください。留学先はどこでしたか?きっかけは?
台湾に1年行きました。もともと高校の時から留学には興味がありました。なんとなく英語圏でと思いながら時が過ぎてしまっていたところ、大学2年のころに南国商学院の留学生がTLHに入寮しました。そのことがきっかけで留学生と積極的に関わりながら、日本語を教え、中国語を教えてもらうことで、留学への気持ちが強くなりました。

―なぜ台湾にしたのですか?
留学について動き始めた当初は、大学職員の安井さんや河合さんから南国商学院への留学の話をもらいました。しかし、自分の成績の関係で断念。そこで、すぐに行き先を台湾に変更しました。台湾にしたのは、以前からTLHを利用していた台湾からの留学生と連絡を取り合っていたことが大きいですね。南国商学院への留学を断念した翌日にはエージェントに相談に行きました。自分の中で留学したいと思ってから、留学先の決定までは1カ月くらいという短期間で、実は親にも事後報告でした。

―留学中はどんなことをしていましたか?
語学学校の授業と、家に帰って中国語の自習がメインですね。最初の1~2カ月は中国語が全くできない状態だったので、とても大変でした。英語も得意なわけではないし、つたない英語と中国語で2か月ほど過ごしていました。案外自分の中ではケロッとしていましたけどね(笑)日本のようにすぐに頼れるところがないので、やるしかないという部分も大きく、自分自身が強くなったと思います。
留学した初日に日本人と韓国人の友人ができて、ものすごく勉強する友人だったので、自分への影響も大きかったです。韓国人の友人とは、言葉が通じないので、初めはGoogle翻訳を利用しながらコミュニケーションをとっていました。2カ月間も言葉の壁があるとしんどくなると思いますが、同じように努力している友人が周りにいたので、一緒に乗り越えることができ、自信に繋がりました。2カ月ほど経ったころから、言葉が通じるようになり、どんどん楽しくなりました。もともとインドア派ですが、観光にも結構出かけましたね。日本人の友人とは今でも時々やり取りをしています。
あとはステイ先から学校までの往復20キロを歩いて通っていました。学校でも頭をフル回転させて学んでいるので、毎日ヘトヘトでした。留学する前より体重が20キロも痩せました!

―台湾でのステイ先はどうしていたのですか?
シェアハウスをしていました。日本でもTLHでシェアハウスのように過ごしていたので、全く関係のない人達との共同生活に抵抗はありませんでした。シェアハウスでも初めは言葉が通じませんでしたが、3カ月くらい経つとほぼ中国語でコミュニケーションをとっていましたね。

―留学してみて何か変化はありましたか?
生きていく力がつきましたね。言葉が通じなくても出かけられるようになりました。留学中に自分で考えて動いていく中で自信がついたと思います。

―留学を経て今後はどのようにしたいと考えていますか?
中国語のHSKという試験があり、1級から6級まであり、現在は4級を持っています。次の試験で5級と6級を同時に受験する予定です。目標はもちろん合格することですが、やはり留学中よりも中国語に触れる機会が減っているので語学力を維持するのは難しいですね。寮生にも留学生がいるので積極的に中国語で話すようにしています。異国に留学する気持ちも分かりますしね。

―将来はどんなことをしたいと思っていますか?
卒業したら、できたら台湾で仕事をしてみたいです。もしくは留学中に休学をしていたので、卒業までにもう一度留学して、単位取得を目指すのもいいかなとも思っています。台湾では日本語を教える教員に興味があります。地元の沖縄で中国語を教えるのもいいですけどね。中国語の検定に受かれば夢も近づきますね。

―留学を考えている学生へのメッセージをもらえますか。
留学したいと迷っているのなら、チャレンジしてみるべきです。もちろん留学にはお金がかかるので、僕が留学できたのも家族の支援があったからです。ただ、自分の決意の部分は、結局のところ勢いが大きいと感じています。コロナウイルスの影響で諦めている学生も多いと思いますが、学びたいところに行けて、やりたいことができる世界になってくれるといいと願っています。

―最後にTLHの宣伝をしておきますか?
寮生活や一人暮らしを検討している学生がいましたら、TLHにぜひ来てください!きっと成長できると思います。
(写真:留学中の写真)

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