愛知東邦大学

2018.02.19

大正15年の東邦商業を伝える写真見つかる

 東邦学園でこれまで発行された学園史には大正時代の様子を記録した写真は1枚も収録されていません。「語り継ぐ東邦学園史」の連載を進めながら、関連史料を探していく中で、大正15年(1926)年に発行された校友会雑誌『東邦』の3号と4号を発掘することができました。このうち同年12月15日に発行された4号には写真ページがあり8枚の写真が掲載されていました。大正15年の東邦商業学校の様子を伝える貴重な写真です。
 写真の中には、20校を超す小学生たちも参加して開催された5月の開校記念日運動会、東邦商業学校が徴兵令でも中学校と同等以上の学校として認められことを祝う10月の「徴兵令認定記念」運動会、知多大野(常滑市)での水泳部合宿の写真もあります。

 さらに、東邦健児団(ボーイスカウト)発足に関連して、校主代理の下出義雄と少年団日本連盟副理事長の三島通陽子爵のキャンプ中の写真、その直後に名古屋を発った下出義雄の訪米先での写真もあります。
 掲載された写真には具体的な説明はありませんが、『東邦』の3号、4号に収められた記事を読み解くことで、写真の背景や、草創期ならではの東邦商業学校の風景が見えてきました。
 4号には、福沢諭吉の門下生で、名古屋財界の重鎮だった矢田績(せき)の講演録が掲載される予定でした。

 矢田翁は三井銀行名古屋支店長時代に、慶応義塾の後輩で、電気事業参入を目指していた福沢桃介を下出民義に引き合わせるなど、東邦学園にとっても大切な存在でした。ところが、下出義雄の外遊中に、講演録が行方不明となる〝大事件〟が起きていました。
 「語り継ぐ東邦学園史」第25回、第26回はコラム①、②として「大正の風景」を上、下2回分にまとめましたのでご覧ください。

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