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TOHO INTERVIEW

【第4回】入学式で伝えたかった「海を見る自由」。果敢に挑戦してほしい学生時代

学校法人東邦学園

長沼均俊常務理事

前東邦高校校長

長沼均俊(ながぬままさとし)

北海道出身。愛知県立芸術大学美術学部美術科油絵専攻卒、同大大学院修士課程修了。愛知県の公立中学校教員を経て東邦高校教員になったのは普通科に美術コースが新設された1991年から。教務部長、教頭を経て2011年4月から2015年3月まで校長。4月から東邦学園常務理事。趣味は読書で話題の本はすぐに読むタイプ。

 長沼常務理事は2015年3月まで東邦高校の校長。東邦高校での教員時代には美術科開設にも関わりましたが、教員になろうと決意したのは芸大大学院生時代にアフリカのモロッコを旅した時の体験がきっかけだったといいます。夢を追い求めた浪人、社会人時代も振り返りながら語っていただきました。

――2015年度入学式の祝辞では、「自分の夢が何であるか海に向かって問え」というメッセージを引用し、学生たちに大学生生活の意義を語りました。

 私は浪人したり、一度入った大学を退学して社会人になったりして再度、芸大に挑戦しました。大学院時代にはアフリカに貧乏旅行していろんなことを体験しました。大学の入学式で祝辞を述べるのは初めてでしたが、自分の体験とも重ね合わせながら、学生時代に与えられた自由な時間の尊さを伝えたいと思いました。高校の校長になったのは東日本大震災のあった2011年の4月ですが、引用させてもらったのは、当時、全国の学校関係者に大きな反響を呼んだ「海を見る自由」というメッセージです。衝撃的な言葉が散りばめられていて、私も何度も読み返しました。祝辞では、「このメッセージには、現実を直視し、よりよく生きるためには探究心を失うなという願いが込められていると思います」と語りました。

※メッセージは2011年3月、立教新座中学・高校(埼玉県新座市)の渡辺憲司校長(当時)が卒業式用に用意したものです。東日本大震災の影響で卒業式が中止となったことで、ホームページに掲載されました。『卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ』というこのメッセージは今でもネットで検索でき、渡辺校長は、「大学に行くとは『海を見る自由を』を得るためではないか。言い換えるならば、『立ち止まる自由』を得るためではないかと思う」「大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌(きら)めきの時なのだ。池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことはできない。家庭を持ってもそんなことはできない。今日ひとりで海を見てきたよ。そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない」などと述べています。

――家具職人を目指した時期もあったと聞きました。

 北海道北見市の高校を卒業し、芸大をめざして東京で3浪しました。予備校に通いながら北アルプス登山のため、毎年、長野県の松本に滞在したことで、民芸意家具づくりに惹かれた時期もありました。本命の大学をあきらめ私立の芸大に入学しましたが、事情があって働かなくてはならず、退学し、東京の大手ホテルのデザイン部での仕事に就きました。しかし、やはり最初の夢を果たそうと芸大に再挑戦し、20倍近い倍率でしたが、何とか愛知県立芸術大学に合格し、名古屋での生活をスタートさせました。大学院を含め6年間の学生時代でしたが、教師になろうと決めたのは大学院1年生の春休みにアルバイトで蓄えたお金でモロッコに2か月ほど滞在した時の体験です。大学を出ても仕事がない若者たちと付き合っているうち、自分がやれる仕事を真剣に考えなければと思いました。芸大で学んできたものを教育というジャンルに生かそう、それしかないと。

――教員になったのは何歳の時ですか。

 愛知県の教員採用試験には「30歳以下」という受験制限がありました。受験して合格した時は29歳。すべり込みでした。公立中学校で美術の教員を6年しました。このころ公立中学校は校内暴力の嵐が吹き荒れ、主要5教科が優遇される中、美術の授業は疎外され、美術教員でありながら他教科も教えなければならない状態でした。そうした時、美術科開設の準備に動いていた東邦高校から声をかけていただきました。芸大に挑む高校生たちのために自分の体験も生かせると思い、迷わず私学の世界に飛び込みました。37歳の時です。

――愛知県の高校で美術科があるのは県立旭丘高校と東邦高校だけですね。

 東海3県でも他には岐阜県立加納高校にあるだけです。東邦高校が美術科を設置したのは1993(平成5)年ですが、私が赴任した当時の普通科美術コースの開設(1991年)から数えると24年。最近お会いした旭丘高校の先生からは、東邦高校に美術科はできたことで、愛知県下の若者の美術人口が大きく広がったと言われました。今年の美術科受験生で見ても、旭丘が60人台だったのに対し、東邦は100人を超しました。すでに、東京芸大に進学して母校である東邦高校美術科に教員として戻ってきている卒業生もいます。愛知県下では旭丘と東邦で、美術科生徒の住み分けが定着してきたように思います。

――これまでの東邦高校校長が中心の仕事から、常務理事として大学運営の仕事が大きなウエイトを占めてきますね。

 榊直樹理事長も言っているように、愛知東邦大学は小規模大学ですが、小さな大学ならではの小回りできる良さがあります。地域連携など、小回りがきく学部、学科のよさを生かし、地域の方から愛される大学となっていければと思います。高校・大学合同バンドによる米国パサディナでのローズパレード出場決定、最近の愛知東邦大学硬式野球部の健闘ぶりなど、実績ある高校の吹奏楽部や野球部の伝統が大学にも着実に浸透しています。高校の先生方からは「大学がいい方向にどんどん変化している」という声をよく聞くようになりました。地域連携、高大連携をさらに中身の濃いものにしていきたいと考えています。

――学生たちへのメッセージをお願いします。

 自分のからに閉じこもらず、いろんなことに挑戦してほしいと思います。周囲を見渡せば、授業以外にも学園祭、クラブ、サークルとかいろんな活動に取り組んでいる仲間たちがいるはずです。思い切りやれば、見えてくるものが必ずあります。私も大学院まで含めた学生生活では、「もう社会人として世の中に出なければ」と思うほどいろんなことに挑戦し続けましたが、若い皆さんには私以上に素晴らしいパワーがあるはずです。