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TOHO INTERVIEW

【第27回】想定外だった故郷熊本地震。ゼロではない「危険率」を教訓に

経営学部地域ビジネス学科

成田良一教授

元学長、数学

熊本市出身。県立熊本高校を経て東京大学教養学部基礎科学科に入学。同大大学大学院理学系研究科相関理化学専攻博士課程単位取得退学。富士通研究所、東邦学園短期大学教授等を経て愛知東邦大学教授。2011年4月から2015年3月まで学長。主要担当科目は「数理の世界」「インターネット社会論」。主な研究テーマは「暗号の数理」など。

 最大震度7を2回観測した熊本地震。4月14日の余震、同16日の本震から1か月が過ぎました。愛知東邦大学では家族が犠牲になった学生や教職員はいませんでしたが、経営学部の成田良一教授は熊本市出身。運転を再開した新幹線で4月29、30日、生まれ育った熊本市を訪れた成田教授に、被災した現場の様子を語っていただきました。

――熊本市に住んだのは高校時代までですか。

 そうです。生まれ育ったのは旧市街地で、今の地名で言うと熊本市中央区細工(さいく)町。通学した市立五福小学校は明治8年の創立です。やはり母校である県立熊本高校(旧制熊本中学校)の近くには水前寺公園があり、私が子供のころには動物園もあり、よく遊びに行きました。4月14日午後9時26分の余震、16日未明の本震による熊本地震が発生後、報道される故郷の惨状にいても立ってもおられない気持ちでした。私は車が運転できないので、熊本に駆けつけたのは新幹線が復旧した4月29日でした。

――熊本にいる家族や親類、友人の皆さんはご無事でしたか。

 おかげ様で無事でした。私が愛知東邦大学の学長に就任したのは2011年4月ですが、5月に母親が亡くなりました。このため一人暮らしをしなければならなくなった父親は市内の高齢者施設に移りました。4月14日夜、3階建ての施設3階にある父親の8畳ほどの個室も激しく揺れ、本棚は倒れ、いろんな物が落ちて散乱したそうです。電話連絡が取れたのは真夜中でした。暗闇の中で、懸命に携帯電話を探していたら、ちょうど私からの着信があり、それで見つかったようです。「電話を見つけたらちょうどお前から電話があった」。87歳の父親の元気な声を聞いた時はほっとしました。

――大地震発生から2週間が過ぎた熊本市内の様子はどうでしたか。

 熊本駅か市電を使って市街地を通り、父親のいる施設をめざしました。市電では乗車券マナカも使えました。母親の遺骨が納められているお寺は、由緒ある名刹ですが、やはり、数か所でひびや剥落ありました。成田家を含めて三十数家分の位牌などが一時は散乱状態だったようです。みんな自分のことで精一杯で、お寺のことまでは手が回らないでいるのではと心配していましたが、やはり訪れたのは私が最初でした。

――建物の被害はどうでしたか。

 被害が甚大な益城町や南阿蘇村に比べれば熊本市内の被害は少なかったですが、それでも倒壊し、屋根瓦が崩れ落ちている住宅もありました。住宅の外壁に張られた赤、黄、緑のステッカーが目につきました。「応急危険度判定」によるもので余震による2次的被害の防止が目的です。緑ならOKですが、黄色は要注意、赤では住むことができません。「ヒビではなくクモの巣と判明しました」と張り紙のある、黄色から緑色のステッカーに変わった家もありました。

――よく知っている施設はいかがでしたか。

 五福小学校は当時の面影を残した門が残っていましたが、避難所になっていて、自宅に戻れない300人近い皆さんが避難していました。ちょうど、ボランティアの人が料理をしているところでした。近くでは福井市企業局と書かれた給水車が止まっていました。熊本高校は体育館が避難所になっていましたが、天井が崩れ落ちたりして立ち入り禁止になっていました。文武両道を意味する校訓の「士君子」の石碑の背後には青いロープが張られていました。父親のいる施設に行くために乗ったタクシーの運転手さんは、最初は報道関係者が多かったが、最近は保険会社や工事関係の人たちがいっぱい入ってきていると話していました。

――お父さんは元気でしたか。

 父親の入居する施設も水道が止まり、2日間、おかゆだったそうです。備蓄のアルファ米だったのでしょう。入居者仲間の方が豆ご飯を作ってくださり一緒にご馳走になりました。皆さん仲がよく、コミュニケーションがうまく取れているようで安心しました。父親たちの会話を聞いていて、きっと、大地震発生の時も、「こぎゃんすごか地震な、生まれて初めったい」と驚きながらも、互いに励まし合い、助け合ってきたんだなあと思いました。ひょっとしたら、熊本弁って災害に強い方言なのかも知れません。聞いていると気が楽になるからです。避難所で赤ちゃんが大声で泣き出しても、きっと、「よう泣きなはるばってん、しょーんなかたい」と、ほんわかと受け止めながらお互いに支え合っているのでしょう。

――熊本、大分では余震が続いており、避難所や車の中で不安な夜を過ごしている人たちがまだたくさんいます。

 私も含めて、熊本の人間は、熊本で大地震が起きるはずがないと誰もが思っていました。防災計画も現実感を持って作ってはいなかったでしょう。いろんなことが後手に回り、復興でも国、地方自治体、民間がうまく連動しない。もちろん関係者は一所懸命、不眠不休で努力されていて頭が下がります。ただ、非常時の体制づくりにおいては、不十分だったかも知れません。これだけ長く続く余震から見て、熊本地震はこれまでにない新しいタイプの地震なのかも知れません。余震もいつ終息するのか分りません。むやみに恐れてはいけませんが、地質学的なタイムスパンとの戦いになるかも知れません。さらに、原発問題と絡んでくる可能性もあります。私は熊本地震を「想定外」と見るのではなく、小さくとも考慮しておく「可能性」として教訓にすべきだと思います。いくら危険率が低くてもゼロではない、最悪の状況を想定すべきです。想定外ではすまされないことを改めて肝に銘ずるべきだと思います。